我が名はクアウテモック!テノチティトランの鷲の戦士
2009-06-12


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今朝は早起きして サンフランシスコ号漂着400周年で来航したメキシコ海軍訓練帆船「クアウテモック号」歓迎式典見たくて 御宿町までドライブ〓。
片道2時間半かけて日墨国旗を打ち振ってきましたよ〓。

…肝心のクアウテモック号は遠くてよく見えませんでしたorz

明け方頃は もうちょっと港近くまで来ていたらしいけど セレモニー開始頃には波が高くなってしまったせいで沖へ退避中。
(☆追記☆ +あのへんの海が遠浅&岩礁だらけの為 大型船が停泊できる港がない)

地元漁協協力のクアウモテック号周辺遊覧申し込みは並んでたので断念。

ここここここんなコトなら晴海で見れば良かったぁあぁぁぁぁあ

でも メヒコ海軍士官の開衿シャツからのぞく鎖骨を拝めたし、地元小学生ブラスバンド演奏の生メキシコ国歌(世界の五大国歌 転調するところがかわええ〓)が聞けたのと その後の君が代斉唱と歓迎セレモニー見学で 満足です。


それと、セレモニー会場の岩和田漁港そばの崖に草むすトンネルを発見。
第二次大戦中の砲台跡だそーで、北海道の部隊が駐屯してたと地元のおじさんに教えていだたいて帰路に就く。
タコス屋台とか来てると思ったのに そーゆーのは来てませんでした。腹ぺこ(´・ω・`)



日墨修好通商条約交渉とその締結
相互に独立と絶対的主権を認め合い、両国民に相手方の国内での自由移動を認め、通商の自由、最恵国待遇、関税自主賦課、 自国民裁判権について合意した。日本にとっては関税自主権を確立し治外法権の原則を撤廃した最初の条約であった。 批准書は1889年6月6日ワシントンで交換された。 これがきっかけとなって、日本は翌年アメリカ、ドイツ、ロシアと対等条約を調印することになる。

情けは人の為ならず。

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